小説 『白紙の地図』
迷走
「ブォーーーンーーーンーーー」今日もアクセル全開。マフラーからの振動音が座席へと伝わり、夜風が頬に突き刺さる。(ぅ〜快感)この刺激が妙に心地よい。前方に交差点が見えてきた。信号が黄から赤に変わろうとしている。「ぅん?ブレーキ?!」その瞬間。「キーー!ギャリギャリガチャーン!!」「キャー!」記憶が薄れていくなか、複数の叫び声・・「誰かー!早く救急車・・」
「カンパ〜イ!」グラスとグラスが重なり合う音。(生中が旨〜い。)5対5のお花見会。今日は、待ちにまった(でも、僕だけは、ちょっと複雑)女子大生との合コン日。僕らはと言うと、この景気低迷ななか、一部上場精密の会社員。全員大卒で、今年4月に入社したばかりの1年生。バリバリの男性社員である。
そもそもコンパが成立したのは、僕の妹のおかげである。妹は、お嬢様(一応そう言っておかないと、妹のゲンコツがいつ飛んでくるか・・)女子大学の3年生で、今日のこのメンバーは、皆、妹のクラスメートである。当然、妹も同席。但し、僕からいちばん遠くの席に。
僕と妹以外は席順はくじ引き。ちょうど僕の隣に座ったのは、ショートカットがよく似合う、美人と言うよりは可愛らしい感じの女の子。その彼女(こ)のショートカットは、全体に茶髪で、前髪に少し赤紫のメッシュが入っている。(今風だなぁ。可愛いけれど、ちょっとついていけない)僕は、心の中で呟いた。でも、アルコールの量が増すごとに、そんな彼女と意気投合。結局、携帯番号を交換する仲に・・「終わったら、こっそり二人で逃げちゃおぅかっ?」と彼女。
周りが気になって見渡すと、誰も彼もが異様な盛り上がり・・妹も僕の同僚とよろしくやっている。僕も結構酔って、妹の存在を忘れてしまいそう。このままこの彼女(こ)と・・いいかも。
ぞろぞろと、若い男女がおどけながら、時折大きな声を張り上げ歩いている。僕の横には、あのメッシュの彼女がぴたりと寄り添って、つかず離れずに適当な間隔で歩いている。目の前に交差点。と、その時、突然彼女が囁いた。「あの交差点でみんなを・・急ごっ」そして、僕と彼女は急ぎ足に。振り向くと、皆との距離が離れ・・ちょうど、僕と彼女が交差点にさしかかった時、歩行者用信号機が点滅し始めた。彼女は、僕の手を引っ張ると、小走りで横断歩道を渡る。僕たちの後に続いて皆も急いで渡ろうとしたが、すでに信号機は赤。皆を向こうへ残したまま、僕と彼女は、もっと急ぎ足になると、その場から姿を消した。
皆のことが気がかり。でも、咎める心とは裏腹に、足の速度はより増して。後ろを振り向いた時には、もう誰も見えない。「やったね!」彼女は、子悪魔のように悪戯っぽく笑い、「のど渇いちゃったね。なにか飲もうか?」と言ったその目の前には、ちょうど自販機が。
彼女はレモンジュース。僕はオレンジジュース。僕がひとくち含んだその時、ちょっと背伸びをして彼女が・・それは、あまりにも突然の。僕の手元から滑り落ち、路上を転がるプルタブが開いたばかりのジュース缶。僕の口の中は、オレンジの甘い香りとレモンの甘酸っぱい香りに包まれ、舌が痺れて。
おいてきぼり
僕の名前は、金井晃(かないひかる)。今は都内に安アパートを借りての二人暮し。二人と言っても、結婚しているわけではない。ちょうど3年前、妹の美紀(みき)が大学入学と同時に、僕のアパートへ突然転がり込んできたのである。ほんとに突然。それまでは、暢気にひとり暮らしを満喫していたのに。僕の故郷は、東北のとある片田舎で、両親と離れて生活している。
赤信号を前にぼやく声がする。「おいおい。あの二人〜俺たちおいてどこかへ・・」「いいのぉ?美紀?お兄さん行っちゃったよぉ〜」皆の気づかう声。「いいのいいの」そう答えたものの、私は内心少し穏やかではない。お兄ちゃんと香織(かおり)のことが気になる。それが本音。私とお兄ちゃんの晃(ひかる)は、どちらも2月の早生まれ、水瓶座。ちょうど2つ違い。今回のコンパは、お兄ちゃんの同僚(あくまでもお兄ちゃんの説明だ)がどうしても女子学生と飲みたいと言うことで、あまり気乗りしなかったけれど、私が大学のクラスのお友達に声をかけて実現した。(ほんとに〜もう。二人とも・・帰ったら、とっちめてやるから。お兄ちゃん)
「ねぇ?あたしのことどう思う?」そんな・・突然に。どう答えたらいいんだろう。「私は・・す・き・・」「最初にピ〜ンと来ちゃった。ふふ、思ったとおり・・キスも素敵」「ねぇねぇ。か・お・り・・って、呼んでみて?」「えっ?」「いいから、早く〜」「じ・じゃぁ・・か・お・り」(照れるなぁ)「なぁ〜に、ピカチュ〜」(ピカチュ〜?気色悪ぅ〜)「それって、ポケモン?ひ・か・るだからぁ?」僕は思わず苦笑した。
「もう一度、乾〜杯〜!」カラオケルームでの香織と僕。かなりハイテンション。もう、何曲リクエストを入れたんだろう。のどが少し痛い。香織は?と言うと、まだ歌いたげ。「香織・・あの・・」
「香織・・僕との約・束・を・・」僕は、グラスを傾け一気に飲み干す。(効くぅ〜)ストレートのウィスキーがのどに染みる。胸が熱くなる。目の前のディスプレイには、何時間も前から同じ曲が流れている。僕は、時計を見る気力さえもなく、頭の中は真っ白。まるで地図のない旅人のように。
思い込み
「香織、鳴ってるよ。携帯」「あとあと。まだ歌が途中」(いいのかなぁ。電話出なくて・・そう言えば、美紀はよくかけてこない)歌い終わって、香織は携帯を開くと、「また・・」と小声で呟き、すぐ閉じた。「あれ?電話しないの?」「うん。いいのいいの。」「さぁ!次の曲」(まだ歌うんだぁ)僕は、眼がもう渋く。
香織、今日は会えるって言ったのに。携帯も出ない。僕は、少しムッとして店を出た。やけくそでカラオケでもと、この店へ来てはみたが、一人ではほんとうに虚しい。ほとんど何も歌わずに飲んでばかりいた。舌先を鳴らして小石を蹴る。(嘘つき)「楽しかったよね〜。ピカチュ〜ったら、もうやだぁ〜!」同じ店から、いちゃつきながら出てきたアベック。「ぅん?あの声は?」僕は、なぜかビルの狭間に身を隠すと、聞き耳を立てた。
ビルの陰から、二人の様子を覗く。あの声、あの顔・・間違いない。カラオケ店の青色のネオンで、薄らボンヤリとだが、青みがかったメッシュヘアー・・香織だ。僕がいるのに、他の男と。僕の香織。
家の中が暗い。「まだ帰ってないかな」私はそう呟くと、アパートの階段を上り始めた。と、後ろから階段を上ってくる、もうひとつの足音。「今帰ったのか。ずいぶん遅かったな。」お兄ちゃんの声。振り向いた私は、「お兄ちゃんこそ」と、言いかけてやめた。ちょうどその時、人影がチラッと見えたのと、夜更けに言い合ってるところを、誰かに聞かれても嫌だったから。そして、お兄ちゃんが香織と一緒だったことは、もう分かっていたから。
秘密
メールがまた・・差出人は亨(とおる)。今日はこれで何通目だろう。最近では、メールの内容を見る気もしない。メールの最後には、必ず絵文字のハートマーク。それがちょっとうざい。
そもそも私と亨の関係は、去年の夏のバイトからだろうか。私は、女だてらに単車を乗り回すのが趣味。あのフルアクセルした時のエンジンの吹き上げ。そして、振動。興奮する。19の時に自動二輪車の免許を取得。短期間で高収入と言えば風俗。念願の単車を購入するためのバイトだった。もちろんこのことは誰にも内緒。ただバイクを走らせたかっただけ。そして亨は、私と知り合い、その店の常連客となった。
「美紀?もう寝たぁ?ちょっと一緒に、一杯付き合わないか?」風呂上りのお兄ちゃんの声。(ぅんもう〜。せっかく、ラブサスペンスを見ているのに)お兄ちゃんの部屋へ入ると、今流行の歌がテレビから。やっぱり歌番かぁ。「昨日は突然に・・ごめん。」お兄ちゃんはそう言うと、バスタオルで頭を無造作に拭いた。私の顔に飛沫がかかる。「ほんとに何もなかったから、昨日は。隠し事はな・い・よ・・」「そう。」そう答えた私は、昨日の夜の家の前、階段の時と同じ。やっぱり、何も咎めなかった。(隠し事はないもんね・・お互いに)心の中で呟きながら。
バスルームの外、化粧室で、ドア越しに聞こえる携帯のコール音。慌ててドアの隙間から手を伸ばし、携帯を開く。(伝言メモ?)「香織。僕のことが好きだと分かっているよ。わざとあんな素振りしてるんだよね。分かっているよ。香織は、僕だけの香織。」(また・・ほんとにもう。しつこいんだから)あの時に、携帯の番号を教えなければよかった。今から2年前。まだ大学へ入ったばかりの時に、渋谷でナンパされ、ちょっと付き合った彼。名前は、忘れちゃった。第一印象は、ハンサムだなって思ったんだけれど・・意外と根暗。3ヶ月くらいで別れた。
あまりしつこかったら、警察へ相談に行こうかな。こんなこと、彼に知れたらヤバイもん。私は、そのままバスローブを纏い寝室へ。そこで、バスローブを肩先からずらし、床へ落とす。濡れた体についた滴(しずく)が、淡い部屋の光に反射する。その光の中で、静かにワインの注がれる音。そして、グラスとグラスが重なり合う音。
未明の出来事
エンジンの吹き上げは快調。でも、なんだか走り始めより少しブレーキが甘い。(今度、点検しょっ)香織とお兄ちゃん。まさか、あんなふうになるなんて・・(香織のやつ)泪が頬を伝わる。スピードで目が痛い。ちょっとジェラシー入っちゃったかな。でも、これでやっとすっきりした。そろそろ家へ戻ろっ。「ブォーーーンーーーンーーー」(ぅ〜快感)気持ちいい夜風。泪跡の頬がピリピリする。交差点だ。信号が変わろうとしている。(止まらなくちゃ)「ぅん?ブレーキ?!」その瞬間。「キーー!ギャリギャリガチャーン!!」「キャー!」記憶が薄れていくなか、複数の叫び声・・「誰かー!早く救急車・・」
今朝はなんだか目覚めが悪い。一昨日はコンパ。昨日は昨日で、美紀と遅くまで飲んでいた。と言っても、アルコールは僕だけ。美紀はもっぱらウーロン茶。今日は日曜日と言うこともあって、ついつい夜更かしをしてしまった。美紀も、昨日は珍しく、遅くまで僕に付き合ってくれた・・と思う。ほんとのところ、僕はよく憶えていない。途中から、かなり酔いつぶれて寝てしまった。最初は、香織の話で一人舞い上がっていたような・・だけど、そのあと何を話したのか。そして、いつ美紀が部屋から出て行ったのか。
もう7時過ぎ。いつもなら、台所から元気な鼻歌交じりの美紀の声が聞こえ、赤だしの味噌汁の匂いがしてくる筈だが、今朝は何も聞こえてこない。匂いも・・
きっと、まだ寝てるんだろう。僕は、寝ぼけ眼で部屋のテレビをつける。画面はニュース番組。えっ?!あれ?あの・・僕は慌てて美紀の部屋へ。「美紀!起きてる?」応答がない。ドアをノックする。応答がない。もう一度ノックする。やっぱり、応答がない。嫌な予感。「ごめん。美紀、開けるよ。」そう言ってドアを開けたが、部屋は空っぽ。(美紀。どこに・・)
代償
日曜の昼休み。人ごみの中、街頭テレビからニュースが流れている。行き交う人は、それをほとんど気にも留めない。「つづいてのニュースです。昨夜未明、東京都杉並区阿佐谷・・マンション9階901号室で女性の全裸死体が・・首には紐のような・・被害者は、このマンションに一人・・秋元香織さん21歳・・警察では、他殺と自殺両面からの・・・」「つづいて、次は事故のニュースです。昨夜遅く、同じく東京都杉並区阿佐谷北6交差点内で、女子大学生金井美紀さんの運転するバイクが・・近くで目撃していた人の話によると、突然、交差点手前でバイクが転倒、そのまま道路脇のガードレールにクラッシュしたとの・・警察の発表では、ハンドル操作のミスの可能性が・・・」「ここで、CMです。」
僕が美紀の事故の知らせを受けたのは、お昼ちょっと前。あとから知ったのだが、事故からだいぶ時間が経ってから。そして、その連絡は、なぜか警察からだった。
あまりの突然の知らせに、しばらく絶句。とるものもとりあえず、慌てて病院へ直行。病院への途中、実家へ電話を入れたが、その時の母の驚きは、筆舌に尽くしがたい。電話口から、「父さん父さん!美紀が美紀が!」と泣き叫ぶ母の声が聞こえて・・そのあと、母と何を喋ったのか、僕はほとんど憶えていない。
病院へ到着すると、すでに緊急手術が始まっていた。長い手術時間。時計の針がなかなか進まない。そして、ようやく手術が終わった。手術後、担当医からの説明が。「今は、麻酔が効いて眠っています。右足大腿部の複雑骨折と頭部挫傷でしたが、命には別状ないです。安心してください。」大事故であったにもかかわらず、不幸中の幸い。そのあと、一呼吸おいて、神妙な顔で医師は私に。「しかし。記憶に障害が・・戻るのは五分と五分です。あとは、本人とご家族次第です。」と告げた。
遠くから駆けつけた父と母。二人とも顔が青ざめている。事故のショックと久しぶりに見たせいか、その姿はよけいに小さく感じられる。それを見た僕は、記憶のことだけは話すことができなかった。そのあと、僕から美紀の容態を聞いた父と母は、一様にホッとした顔に。そして、安心したのか、「たまには帰っておいで」と、言い残し一路実家へ。見送る電車が次第に遠ざかる。やがてそれは豆粒ほどになり、僕の視界から消えた。
白紙となった美紀の記憶。今日まで歩んできた記憶の地図を、すべて失ってしまった美紀。きっと僕のせいだ。これからは、美紀の記憶へと辿る道、標(しるべ)となる地図を、僕が描いてやろう。そう深く心に決めた。美紀のために。そして、家族のためにも。
〜『第1話』..おわり
ある夏の日
長いリハビリ生活も終え、無事退院できた美紀。でも、まだ記憶は戻らない。そんな美紀にとっては、これからが新生活。再スタートの人生が始まった。
家へ戻ると、奇妙な顔をしている美紀。無理ないと思う。入院中にも、それとなく話をしたが、まだ僕のことを、兄とは信じられない様子だ。僕は、美紀を自分の部屋へと案内し、今日だけでもと、自分のベットに美紀を寝かせる。我が家へ戻り安心したのか、しばらくすると小さな寝息に。久しぶりに見る美紀の穏やかな寝顔。(ぅん?)魘されている。何か悪い夢でも・・記憶を失ったはずの美紀なのに。
「この女性(こ)で間違いないかね?」「えっ?!違いますねぇ。刑事さん。」「あの彼女(こ)は、もうちょっと細身で、顔も面長でしたよ。」「肌も色白・・ほら、東北美人って言うような」「そんなことは聞いていない!」「まっ、いいじゃないですか。へへ、お客さんのなかには、高校生かと思っていたお客さんもおりましたからね。店でも人気がありましたし・・か・お・りさん。」
「か・お・り〜ぼ・ぼく・・もう」「あぁ〜と・お・る〜もうちょっと・・そのまま」太陽が燦々とふりそそぐ真夏日。その暑さに我慢できず立ち止まり、汗を拭い。街路樹の下で、暫し涼を求め。かと思えば、まったく物怖じせずに、せわしく歩き過ぎようとしている。人。人。人。そして、その外の景色を遮り、薄暗い一室で、体中汗まみれになって抱き合う若い男女。「ぅ〜〜ん〜ふふふ。くすぐったいよぉ」「綺麗な白い肌、もち肌だね。」ベットの上で、いつまでもじゃれあう二人。「ねぇ?かおりの住んでるところ教えて?」(どうしよう?・・あっ、そうだ!わ・た・し・は・・か・お・り)「えっとねぇ〜。杉並区阿佐谷・・マンション9階901号だよぉ」(これでいいもんね)「やった!ラッキー!」亨って単純。笑いをこらえた瞬間、裸のままの私のお腹・・少し、波打った。
偽りの花嫁
「ねぇ、知ってるぅ〜?田所先生のこと」「田所って、あのインテリぶったキザな英語助教授?」「そう。そのインテリね。もうすぐ結婚するみたいだよ。」「うそぉ〜?!まだ30代半ばだよぉ〜」「だよねぇ〜。でも私、ああいうタイプ嫌い。」「私もぉ〜」「でね、その田所のお相手が、またまた驚き。なんと理事長の一人娘の真希(まき)さんなんだって」「ねっ!驚きでしょっ?」「ほんとに〜?この大学の理事長の?!」「うん。それって、玉の輿結婚かなぁ?あっ、でもインテリは男だから、股の輿なんてね。」授業が始まる前の噂話。年頃の女の子には、願ってもない話題。話をする彼女らの周りは、あっという間に人だかり。
一糸纏わぬ姿のまま、ベットの上に寝そべる二人。互いに腕を交差して、相手の口にワインを注ぐ。そして、ワインの誘う(いざなう)波に揺られ、ゆらりゆらゆら時を刻み、甘美な時間が過ぎていく。(気持ちいい)
私の意識は朦朧と、その余韻に浸っていると、突然彼が、「僕たち、今夜でお別れにしないか・・か・お・り」「えっ?!どうしてぇ〜?この前、私と結婚するって」「君も知ってるだろう?あの人の言うことは絶対なんだ。」「あの人?」「僕たちの大学のお偉いさん。そのお偉いさんの娘と結婚するから・・僕」「そんな話。初耳だよぉ」「娘さん、僕のことがお気に入りらしい。」「何てったって、大学の理事長だからね相手は。分かるだろう?」「そんな勝手なことって・・」「これ以上、何も話す気はない。」「これは今までの」彼はそう言うと、ベットの上にいくつかのお札の束を。そして、自分だけ身支度を済ませると、黙って私の部屋を出て行こうとドアのほうへ歩きだした。「待って!」「離してくれ!」「嫌!」もみ合いになった瞬間。(痛ぁ〜い)私はベッドの角に頭を。遠のいていく意識のなか、ドアが閉まりかけ(そんなぁ)・・また開き・・・話し声?(戻ってきたの・・)
罠
(ここが・・ぅん?)あの男、女と階段のところで立ち止まり、何か話している。(うっ、ヤバイ。見られたかな?女に・・)咄嗟に、僕は物陰に隠れる。(また明日来てみるか)
(ここか・・ぅん?)開いている。中に人の気配。「誰?!何を?!」「ぼ・僕は何も・・」「嘘!今、その女性(こ)に」「ち・違う!ドアが開いていたんだ。だ・だから部屋の中に・・そしたら彼女が、彼女が」(僕?)男か・・誰だろう?薄暗くて顔がよく見えない。「名前は?」「何で、あんたに言わなくちゃいけないんだ!」「えっ?それなら警察へ行こっ?」「警察?僕じゃない!ほんとだ!僕じゃない!」「だったら、名前を言って!」「信じてくれ!名前を言うから」「早く!」「ぼ・僕の名は・・と・お・る・・望月亨」「と・お・る?・・そう・・・」「もう行っていい?」そう言うが早いか、男(とおる)は一目散に玄関へと走り、そのまま闇の中へ消えた。「あっ!ま・・まぁいいか」一人呟きながら頷き、ニヤリとほくそ笑むその姿は、頭の先から足の先まで全身すべて黒、黒、黒。夜の闇に溶け込んだ黒装束は、頭部だけが異様に光っている。そして、その頭部から下のわずかに覘ける顔の一部。その一部が一瞬歪み、玄関から入る月明かりに白い歯と白い肌が照らされる。瞬間、辺りには背筋が凍るような不気味な雰囲気が漂い、やがてそれは、静かに流れた。
(よし。これでいい。ふふ・・あの女、もしも顔を憶えていたら、超まずいからな。)深夜の駐輪置場。こんな時間にパンクでもしたのか。単車の傍で蹲り、辺りをキョロキョロしながら忙(せわ)しく手を動かす人影。(あっ?!誰か来た!)その人影は、慌てて立ち上がるや否や、修理が終わったのか、足早にその場から立ち去った。
灰色
「お・に・い・・ちゃん?」「何?」「み・き・・とぉ〜、お・に・い・・ちゃん。仲が・・よかったの?」「あたりまえだろっ。まるで、恋人同士みたいだったよ。」僕は照れながら答えた。「やっぱり。そ・う・・なんだ。」「み・き・・ね。今日まで、お・に・い・・ちゃんと一緒に居て、分かったんだ。」「ほんとは、恋人同士だったんじゃないのかなって」そう言いながら美紀は、僕以上に照れくさそうにして微笑んだ。(こんな美紀の笑顔を見るのは、何ヶ月ぶりだろう。)
この頃の美紀は、以前にも増してよく魘されている。それは、回復の兆しなんだろうか。よく聞き取れないが、時々うわごとも言っている。大学生活の夢でも見ているのか。それとも、僕との夢なのか・・・
「望月亨くんだね。」「は・い・・」「ちょっと、署までご同行願えますか?」「えっ?!ぼ・僕は、何も」「以前、君は暴走行為で・・」「だ・だ・・って!それは。今はもう」「とにかく、来てもらえますかね。」穏やかな口調ではあるが、その刑事の鋭い眼光は厳しく強引な感じで、目の前の男は蛇に睨まれた蛙のように、急におとなしくなった。
「亮(りょう)、お待たせ〜!」そう言って外したメットからは、長いオレンジ色の髪が踊る。「後ろへ乗って!」「さぁ!飛ばすわよ!しっかり掴まっててね!」引き締まった体に、ぴったりフィットした全身黒色の本革スーツに身を包み、すらりと伸びた細い足がシートに絡んでいる。スタイリッシュな中にも、女性らしさのひと際目立つバストとヒップライン。「今日もバイク?」おどおどした感じのその男は、ちょっと青ざめた顔色で立ち竦んだままである。「何びくついてるの?昔、レディースのあたしが回すんだからぁ〜。大丈夫だって!」(だから、怖いじゃないか・・真希)男はそう呟くと、仕方なしに後部シートへ跨った。
すれ違い
「もしもし〜金井ですが」「あ〜。私〜か・お・り」「こんな時間なんだけど〜。これからこっちへ来れなぃ〜?」電話口からのその声は、低く掠れ、ちょっとしゃくり声になって鼻にかかっている。(いつもと違う声)「どうしたの?泣いているの?」この前はこの前で、突然お兄ちゃんと消えちゃうし。今度は今度で、こんな遅くに呼び出し。香織ってほんと我儘。目の前のお兄ちゃんはと言うと、酔いつぶれて寝入っている。(これじゃぁ何が起きても目を覚まさないな)私は、毛布をお兄ちゃんに掛けてあげると、バイクスーツに身を包み、玄関を出た。
「亨・・」そう呟きながら部屋の灯りをつける。(おや?玄関の上がり口に何か落ちている・・名刺?)さっき、亨が慌てて飛び出して行った時に落としていったのか・・{エステ「メロン」出張サービスあり..かおり}・・かおり?源氏名?その源氏名の下に、携帯番号の走り書き。(亨はかおりの追っ掛け?)そして、黒い陰は辺りを見回し、テーブルの上の携帯を手にした。キーを操作する。(ぅん?この番号・・名刺の番号とは、まるっきり?!)
「お待た〜!」突然玄関のドアが開く。入って来たのは、頭からすっぽりメットを被った少し猫背の、どことなく神経質そうな雰囲気の男。「遅いよ!雅夫(まさお)」少し苛立った口調で答えると、その黒い陰は、今手にした携帯のキーをプッシュして耳に当てた。「あ〜。私〜か・お・り」・・・
そして、二言三言話をしたあと、また携帯のキーを操作し、テーブルの上の元あった場所へその携帯を置いた。
「じゃぁ、あとは頼んだよ!」それからしばらくして聞こえてくる、遠く彼方からのエンジン音。
9、8、7、6、5、4、3、2、1・・エレベーターが降りていく。そして、表示が止まり、ドアが開く。そのエレベーターから出ていく人影と入っていく人影。(うっ、ヤバイ。見られたかな?大丈夫、大丈夫。僕は頭からすっぽりメット。ぅん?相手もメット?女?・・どこかで)エレベーター前での、どちらもメット同士のすれ違い。それも深夜。なんとも不自然な・・・
蟷螂
(901・・ここ、ここ)私は玄関のチャイムを押した。応答がない。もう一度。やっぱり応答がない。(時間も時間だから、もう寝ちゃったのかな香織・・人を呼びつけておいてほんとに〜)私はほっぺを膨らませ、ドアノブに手をかけた。(閉まってる)私は、目を細めて郵便受けから部屋の中を見透かす。部屋の中は真っ暗。そのまま目をずらし、今度は唇を郵便受けにあてがう。「香織?!」(やっぱり寝ちゃったのか。仕方ない。また明日・・)私は、少しムッとしてエレベーターへと向かった。
(このバイクだな)僕は蹲り、ブレーキワイヤーに手を伸ばした。
(よし。これでいい。ふふ・・あの女、もしも顔を憶えていたら、超まずいからな。あっ?!誰か来た!)夜の闇の中、ライトの灯かりを落としたまま、静かに近づいてくる一台の車。僕は、慌てて立ち上がるや否や、足早に自分のバイクの停めた場所へと歩き始めた。
静かに近づいてきた一台の車。その車は、マンションの手前で音もなく停車した。マンション前の常夜灯から照らしだされたその車体は、黒塗りのベンツ。異様なほどの光沢である。突然、ベンツの後部席のウィンドーガラスがわずかに下がり、その隙間から車内電話の声が聞こえてきた。「わしじゃ、加藤(かとう)じゃ。先ほどあのマンションで・・うん。もう・・でな。気になってまた来てみたんじゃが・・」そして、ウィンドーガラスが上がり、ふたたび音もなく発進すると、静かにベンツはその場から走り去った。
(まったく〜もう。さ〜て、かっ飛ばして帰ろっ!)私はバイクのところへ戻り、シートに跨ろうとした。と、タイヤのすぐ近くで何か光っている。思わず拾って見る。(鍵?)私はそう呟くと、何気なくその鍵をスーツのポッケに入れ、エンジンをかけた。吹き上げは快調。さぁスタート!
そのまましばらく走る。走りも・・ぅん?なんだか少しブレーキが甘い。(今度、点検しょっ)香織とお兄ちゃん。まさか、あんなふうになるなんて・・(香織のやつ)泪が頬を伝わる。スピードで目が痛い。ちょっとジェラシー入っちゃったかな。でも、バイクを走らせてるとすべて忘れられそう。なんだか、これでやっとすっきりした。「ブォーーーンーーーンーーー」(ぅ〜快感)気持ちいい夜風。泪跡の頬がピリピリする。
「キーー!ギャリギャリガチャーン!!」「キャー!」「誰かー!早く救急車・・」
〜『第2話』..おわり
うぐいす嬢
走り出したベンツの中で、ぼそぼそと一人喋りをする老人。(あれは、1年前の夏だったかのぉ。あの娘と出会ったのは・・あの娘、男を食い物にすると言う女の典型じゃった。しかし、いい女じゃった。勿体ないことをしたもんじゃ。)
「こちらは加藤、加藤正志(まさし)でございます。皆様の厚いご支援をどうぞ、どうぞよろしくお願いします。」「加藤です!ありがとうございます!ありがとうございます!」よくとおる澄んだ女性の声が流れてくる。夏の選挙戦。与党議員候補加藤正志の選挙カーからの声である。
加藤正志は、今回の選挙戦で8期目を迎える長老議員で、現在は党幹事長。過去には外務大臣、文部大臣等を務めた経歴の持ち主で、政財界を始め、教育界でもその名を知らない者はいないと言われている大物政治家である。これが加藤正志の表の顔。そして、加藤正志は巷では二つの顔を持つ男とも言われている。それは、あくまでも噂であるが、暴力団関係者との密接なつながりである。もし、この噂が真実ならば、もう一つの顔は裏の顔と言えるだろうか。
「お兄ちゃん?これ、なぁ〜に?」美紀が手にしてきたのはビニール袋。「あっ、それは・・」そう言えば、ずっと忘れていた。ボロボロになった、美紀のバイクスーツが入ったビニール袋。あの事故以来捨てることもできずに、バイクスーツをビニール袋に入れたまま、美紀の部屋のクローゼットの奥に仕舞っておいたものだ。美紀がそのスーツを袋から取り出す。ところどころ引きちぎれ、黒と言うよりは茶褐色に変色したスーツ。あの時の事故の激しさが今も伝わってくるような傷み。(でも、美紀はこれ以上の傷みを自分自身に受けたんだ)「美紀?それ見て何か思いだす?」(ごめん。あまり思いだしたくない嫌な記憶だよね)僕は思わず呟いた。その時、スーツのポケットから何かが落ちた。
(鍵?)「お兄ちゃん?これ、鍵だよねぇ?」「うん。確かに鍵だ。」僕は答えながら頷く。「美紀?見覚えある?この鍵」(僕のアパートの鍵ではなさそうだ)「ぅ〜ん・・何かボンヤリ。バイク・・鍵・・・」美紀が眉間に人差し指と中指を当てながら答えた。その姿を見て僕は思った。(美紀の白紙の地図、今は何色に染まっているのだろうか?)
突然、玄関チャイムの鳴る音。
メロン
「誰か来た。美紀が出るね。」まだぎこちはないが、他人(ひと)との応対も何とかできるまでに回復した美紀。ほんとによかった。(あとは、完全に記憶が戻ってくれさえすれば)美紀は、テーブルの上に謎の鍵を置くと、玄関へ向かった。
「違、違います!」美紀の穏やかな声が一転。驚きと慄きの声へと変わり、玄関から部屋へ響き渡った。「どうした?!美紀?!」僕は慌てて玄関へと走る。まるで、野球の盗塁をするような勢いで・・
玄関マットに滑り込んだ僕の目の前、蒼ざめた顔色で茫然と佇む美紀と初老の男。「突然お邪魔して」と、穏やかな口調と笑顔で挨拶する男。しかし、その穏やかさの中に光る男の眼の鋭さを、瞬時に僕の瞳は捉えていた。
「捜査一課の荒木と申します。今、奥さんに」「奥さん?妹です!」僕は憤慨して答えた。「失礼しました。で、奥いや、妹さん?あなたは、かおりさんですね?」「だから違います!美紀!」「美・紀・・さん?ほう。それじゃぁ、ここに写っているのは?」その荒木と名乗る刑事が示したものは、超ミニスカートのセーラー服のような格好をした女の子の写真。その女の子の顔・・美紀?!(なぜ?!美紀が)そして、その写真の女の子の左胸の辺りに、『かおり』のネーミング。「美紀さん・・でしたか。あなたはある時期、ある店にいたのでは?そのお店の名は、メロン」「ご存知ないですか?」美紀は、黙って俯いたままである。「じゃぁ、この女性(こ)に見覚えは?」そう言って、荒木刑事はもう1枚の写真を見せた。「か・か・顔・・ダメ」美紀が苦しそうだ。「ちょっ、ちょっと待ってください!刑事さん。妹は今・・」「今、なんですか?」「今、今・・」それからが思うように言葉にならない。荒木刑事の独特の威圧感と、2枚目の写真を見たからだろうか。僕は、それ以上何も言わず、貝のように口を閉ざした。あの目覚めが悪かった日曜の朝。美紀がアパートにいなくて・・そして、あの事件と事故があった日。嫌な記憶が蘇る。
そう。2枚目の写真に写っていた女性(こ)は、香織。間違いなく本物。あの香織。
兄
「あなたはメロンにお勤めでしたね?昨年の夏ごろ・・『かおり』と言う名で」「・・・・・」荒木刑事の念を押すような言葉であったが、美紀はやっぱり無言。「何もお答えいただけないならば、ちょっと署までご同行いただけますか?他にもお伺いしたいこともありますし」荒木刑事の眉が一瞬ピクリと動き、少し強い口調に変わった。
(このままでは・・今はとにかく、美紀のことだけでも)言葉にならない僕だったが、ここは兄としてちゃんと言うべきことは言っておかなければ。僕は自分にそう言い聞かせると、勇気をだして切りだす。「け・刑事さん。あのぉ」「何だね?」(ビクッ・・大丈夫、大丈夫)「妹は、事故以来・・記・憶・・が」「事故?記憶がどうしました?」「以前、バイクで転倒しまして大事故を・・それから記憶が戻らないんです。」それを聞いた荒木刑事は、しばらく何か考えていたが、ちょっと驚いた様子で、「バイク事故?あの杉並区阿佐谷の?」と問いかけてきた。荒木刑事の驚いた様子。そして、なぜ阿佐谷の事故って・・そのことが妙に気にかかり、ぼくは、「そ・そうです・・が」と答えただけで、またのどに声が詰まってしまった。その時、外のほうから呼ぶ声が。「荒(あら)さん!署から連絡で、すぐ戻ってくれと」その声のほうを見ると、荒木刑事よりずっと若く、テレビドラマにでも出てきそうな雰囲気の刑事が、膝まである丈の長いジャケットを風に靡かせ走ってきた。(ちょっとかっこいい)そう思って美紀のほうを見ると、美紀もしっかりその刑事を見ている。
「おっ、森田(もりた)。例の件で署から連絡が?」「はい!そうです。」歯切れのよい返事。(若々しい好感の持てる青年刑事だなぁ。)その歯切れよさに、僕も若いということを忘れるほどだ。
「それじゃぁ、今日のところはこれで。またお伺いします。」そう言い残し、荒木刑事と森田刑事は帰っていった。
刑事が帰ると、美紀が申しわけなさそうに僕に言った。「お兄ちゃん。ほんとにごめんね。“昔”の美紀・・お兄ちゃんに内緒にしていたことがあったんだね・・ごめん。」美紀の瞳が少し潤んでいる。「もういいよ、美紀。お兄ちゃんは気にしてないから。美紀のことだから、きっと何か理由(わけ)があったんだと思う。それより大丈夫?突然のことで美紀は・・」「ありがとう。大丈夫。」そう言って美紀は、人差し指で目じりを拭った。その姿を見ながら、僕は心に決めていた。(今度、香織のマンションへ行ってみなくちゃ)美紀と香織・・あの日・・・
誘惑
「おっ、荒さんご苦労さん。で、どうでした?金井美紀は」「課長、それがどうも・・美紀は事故で記憶を」「事故?」「ええ。ほら、例の阿佐谷のバイク事故」「やっぱり。阿佐谷か・・気になるなぁ。」「はい。私も」「そうそう。先ほど森田君に連絡した件なんだが」「あれから何か吐きましたか?望月」「うん。あの日、現場に」「やはり・・あの部屋には奴の指紋がベタベタでしたから」「だがなぁ、犯行は完全に否認してるんだ。”僕じゃない”の一点張りだ。」「それと・・奇妙なことに、バイクスーツの女が部屋に来たそうだ。」「バイクスーツの?お・ん・な・・ですか?」「そう。バイクスーツの女だ。」
「可愛いのぉ。若いのぉ。しかし、まさかお前がひとつ返事でここへ来てくれるとは・・このわしでさえも驚いたぞ。」「だってぇ〜先生。まさか選挙演説中に口説くなんて・・私のほうこそ驚き〜」とあるマンションの一室で不似合いな年齢差の男女が絡み合っている。「わしは、ひと目でお前が気に入ったんじゃ。ここはの。わしのお気に入りの秘密の場所でな。お前さんがいつでも自由に使っていいんじゃぞ。」「ほんとに〜」「そうそう。お前さんに鍵も渡しておこう。」そう言って老人は、まるで娘のような歳の離れた女性に鍵を手渡した。「ここって、9階だよね!眺っめ、いいなぁ〜!」そう叫びながら、突然その女性は窓の前に立つと、カーテンを開けた。ネオンが投影して七色に輝く裸体。壁全体に映しだされる神秘な情景。老人は、その姿にいても立ってもいられなくなったのか・・裸体を後ろから羽交い絞めにすると、ベットへ引き戻そうとした。縺れる足と足。そして、壁の影が消えた。
悪夢
僕の香織。だから言ったじゃないか。僕の言うとおりにしていれば・・そうさ、僕は見た。あの日行ったんだ。僕は見た。僕は怖い。あの日から嫌な夢も見るようになった。何かに追われる夢。逃げても逃げても、そいつは追ってくる。そいつは獣?いや・・首のない馬に跨った騎士?いや・・首のない・・・そいつが毎夜追ってくる。
(わぁ〜すごい寝汗)私の頭の中は、ほんとにどうなっちゃったんだろう。バイクと鍵。見えそうで見えない、まるで靄のかかった景色みたい。最近、朝起きるとシーツがぐっしょり。きっと、怖い夢を・・でも、何を見たのか覚えていない。嫌な気分。
「美紀〜!ご飯だよ〜!」美味しそうな匂いに包まれて、お兄ちゃんの大きな声が台所から聞こえてきた。「今行くねぇ〜!」私も大声で答えながら、小走りでスキップフロアをスキップ・・どうしてそんなことをしたのか・・・突然、躓き、倒れた。また意識が飛んでいく。
(ヤバァ〜)ないぞ。あの時、姉貴から預かって確かポケットに・・まずいな。このままでは姉貴にこっぴどく。いったいどこに?ぅん?もしかしたらあそこ?!
覚醒
(何?!今の音)「美紀?どうしたぁ?」僕が台所から顔を覗かせると、廊下に美紀が・・「美紀?!美紀〜!」
「真希?ちょっと飛ばしすぎ・・」「何〜?!もっと大きな声で喋ってよ!聞こえない!」単車の奏でるエンジン音と、頭からすっぽり被ったメットのせいなのか、真希の耳には亮の声が届かないらしい。「スピード!速い〜!」真希の腰にしがみつきながら、亮は精一杯の声を張り上げる。「何言ってるの亮!このくらいのスピード。まだ序の口よっ!」「それより、あの日、あのマンションからどうしてあなたが?!」「そ、それは」(君だって、どうしてあのマンションに)僕のほうは、心の中で問いかけるだけ。「ほんとのこと言わないと、もっと飛ばすよぉ〜!」(我儘な女)元暴走族でお嬢さん。こんな特異なキャラに見初められた僕は、運が良いのか悪いのか・・・
「気がつきましたね。もう大丈夫。」「美紀?分かる?お兄ちゃんだよ。」「お、お兄ちゃん?ここ、どこ?」「病院ですよ。」あの事故の時の担当医が、私に代わってやさしく答えた。「お兄ちゃん、朝まで飲んでたのぉ?」「えっ?!」一瞬、途惑ったあと、僕は驚きの声をあげた。その時、担当医が僕に伝えた。
「記憶、戻りましたね。」
〜『第3話』..おわり
予感
(これ?)あの夜、香織のマンションで・・私のバイクの傍に落ちていた鍵。美紀は、テーブルに置かれた鍵を手に取ると、親指と人差し指で器用に回した、つもり・・が、指から滑り落ち、テーブルに当たって床に落ちた。「この鍵、いったい何の鍵かな?」鍵を拾いながら、僕は呟いた。「あっ?お兄ちゃん。起きていたの?」「うん。どうも眠れなくて」「コーヒーでも入れよっか?でも、よけいに眠れなくなっちゃうか〜」「ありがと。じゃぁ、アメリカンで」カップにお湯を注ぐ音。ほろ苦い香りが漂ってくる。その時、美紀がか細い声で囁いた。「す、す・・き」「何?」「ぅんう。な、何でもない」
僕は、鍵を見つめながら一人言。「ほんとに、この鍵って?」でも、頭の中ではまったく違うことを考えていた。(幸せって、きっとこういうことなんだろな)
「ここへ、また来るとは」高層マンションの前で、口を鳴らしながら捨て台詞を吐く神経質そうな男。その男は、何か落し物を探すような仕草で、地面を睨みながら歩いている。もともと猫背のせいだろうか。その背中は、より丸く、まるで傴僂のようである。「もしや、とも思ったが・・姉貴に詫びを入れるしか」(ぅん?待てよ)あの時、ドアを開けるために鍵を・・そして、オートロックで閉め・・・後始末をした時か?室内?!(もう無理か)その男は、深くうな垂れると、足早にマンションを後(あと)にした。
(ここだな)幸いにも辺りには人気がない。それでも、僕は周囲に気配りしながら、鍵をアウトサイドノブ上部の内筒の鍵穴へ差し込んだ。(開くかどうか試すだけだ)後ろめたい気持ちで鍵を回す。デットボルトの動く音。(開いた)僕は、ドアをわずかに開けると、心の中で呟いた。(か・お・り・・“ピカチュ〜”と、言ってくるはずないか)そして、すぐ閉め、静かにその場から立ち去った。
新たな殺意
「亮、ほんとのところはどうなの?あのマンションにいた理由(わけ)」バイクを停めて開口一番、外したメットから長いオレンジ色の髪を踊らせながら真希が切りだす。僕は、足がまだ宙に浮いたままの感で答えた。「そ、それは」(どうしよう。ほんとのことを言うべきか)「怒らないから教えて・・ね!」そう言いながら、真希は僕の顔を覗き込んだ。(ぅ、綺麗)怖いけど、やっぱり真希は美人だ。あの禿げあがった頭と鷲鼻。そして、その鼻の下に生わせたちょび髭に比例したかのような異様に膨れ上がった下腹の、あの理事長の娘が真希だとは。あまりにもアンバランス。
「まっ、いいわ。今話したくなくっても、これからきっと、話さずにはいられなくなるから」その時、目の前のモーテルのネオンが真希の口元を青白く歪ませ、まるであの夜と同じに、辺りには背筋が凍るような不気味な雰囲気が漂った。
そのあと、ひとつの影がもうひとつの影を促し、ふたつの影は、ネオン煌くモーテルの中へと吸い込まれて行った。
蛇足
「ぅ〜む。女か」「刑事、報告します。」所轄の警察官が、年配の刑事に声をかけた。「被害者の身元は判明しています。」「ちょっと待ってくれ。まだ他殺とは」「そ、そうでした。すみません。女性の年齢は27歳、氏名は藤田真希、職業はなし、住所は・・です。それから、こちらがこのモーテルの従業員で、第1発見者の」「そうか。ありがとう。それから、この女性のご家族に連絡をとってくれ。お〜い森田!こっちへ来てくれ」「何ですか?荒さん」「この方に、発見した時の状況を聞いてくれ」「分かりました!」覇気のよい返事が室内にこだまする。
独特の雰囲気の二人。年配の刑事は荒木刑事、若いほうは森田刑事である。そして、その二人の目の前には、引き攣り、青白く醜く変貌した顔。その顔が恨めしそうに天井を仰ぎ、首に絡めた浴衣の帯の一方がドアノブまで伸び、結わえられている。その首に残る痣。まるで蛇の絡まった痕のように・・・
話を聞き終えた森田刑事が荒木刑事のほうを見ると、荒木刑事は訝しげに首を傾げている。「荒さ〜ん!どうしました?」「それが妙なんだなぁ。彼女の右手にこんなものが」と言って、差しだしたのは・・鍵。「鍵ですね。どこの鍵でしょう?」「そう。どこの・・それにしても、何故これを握っていたんだろう?意味のないような・・まっ、とりあえず持ち帰り、調べてみるか」そう言うと、荒木刑事は鑑識用のビニール袋へ、その鍵を入れた。
思惑
「な、何と?娘が?!」警察からの連絡を受けた藤田は、電話口で驚愕して叫んだ。某有名女子大学の理事長を務める切れ者にしては、どことなく間の抜けた容貌の男。その藤田は、小さく溜息をついたあと、受話器を一度置き、ふたたび耳にあてた。ダイヤルの電子音が聞こえてくる。
「あっ、俺だ。そう・・真希が亡くなった・・お前、殺った(やった)のか?」「使い捨て?!相変わらず、情け容赦のない奴だな」「それはまっ、実の・・じゃ」「だが、俺はお前と違って、まだ良心の欠片というものは残っているからな」「ところで・・あの娘も、あいつの?」「尻拭い?すべてはあいつの性癖の・・」「まっ、あいつには何かと骨を折ってもらっているからな・・お互い」ようやく電話が終わると、藤田が呟いた。(あの男も・・そろそろ)
(姉貴、ほんとに死んじまったのか?)まだ信じられないと言う様子で、バイクを走らす男、雅夫だ。その姿は、まるで首のない馬に跨った黒騎士・・しかし、騎士と呼ぶには似つかわしくない風貌。それは、極端に丸まった背中のせいだろうか。
(姉貴、絶対に仇を討つからな・・大好きな姉貴)雅夫は走りながら泣いていた。その泪も、バイクのスピードですぐに乾いていく。「馬鹿やろぅ〜!」大きく叫ぶと、ナイトは姫と別れを告げるかのように、さらに強くアクセルを吹かした。
「せ・ん・・せ〜!結婚、ダメになっちゃったね〜」人の気持ちも分からずに、学生たちが取り囲んだ輪の中にいるのは、英語助教授の田所である。「さぁ!みんな教室へ入って入って!」「あ〜。嫌だ〜太閤妃殿下だぁ〜」薄黄色に染まったレンズとゴールド縁の眼鏡。その眼鏡には、首に掛けられるように、これまたゴールドチェーンが付いている。そして、腕にはブレスレットと腕時計。こちらも、すべてゴールド。もちろん、ネックレスもゴールド。ゴールド好きなこの女史は、経済学教諭の金子艶子(かねこつやこ)である。この金子教諭は、あまりにもゴールド好きなことから、学生たちの間では、太閤妃殿下と呼ばれているのである。
「田所先生、この度は大変なことに・・心中、お察ししますわ。」「すみませんでした。突然、生徒たちに囲まれてしまって・・どう対処したらよいか、困っていたところでした。助かりました。」一見、神経質そうな雰囲気の田所は答えた。「そうそう。先生?あとでこれを」そう言うと、金子は、一枚の紙切れを田所の手の中へこじ入れた。呆気にとられている田所を尻目に、金子は踵を返し、いそいそと担当クラスの前まで歩き、扉を開け、そのまま教室の中へと消えた。田所は、手渡された紙切れを見た。そこには、小さな走り書きで、{今夜、付き合って}と、記されていた。
田所亮・・この男、母性本能を擽ると言うか、変な魅力が・・女性を惹きつける、何かがある男なんだろうか・・・
蜻蛉
薄暗くなった校門の付近で、キョロキョロと辺りを見回す男。その男の背後に静かに近づく一人の女。すると、女は男の臀部をさり気なく手提げ鞄で小突いた。そして、二人は人気のないのを確かめると、その場所から逃げるかのように急ぎ足で歩き出した。
「森田、どうだ?鍵のほうは」「それが、やはりあのモーテルのものではなかったですね。」「やっぱりな。ところで、真希・・藤田真紀の家族は何て?」「鍵のことですよね?そう。心当たりはな・い・・と」「しかし、あの父親は強かですね。荒さんといい勝負かも・・あっ、冗談ですよ。今の言葉取り消し」(しまった)「それにしても、たった一人の娘さんがお亡くなりになったのに、泪ひとつ見せないとは」森田刑事は、慌てて頭を掻きながら言葉を続けた。その時、森田刑事の目に、瞬間、ピクリと動いた荒木刑事の眉毛が写った。
(この店だったな・・メロン)しかし、警察もやっと解放してくれた。証拠不十分で。そりゃそうだ。僕は何もやっていないもん。確かに以前は、バイクで暴走を繰り返していたけれど、今は更生したんだ。(逢いたいなぁ。“ほんと”のか・お・り・・に)
妖しげなネオンに惹かれ、世間の憂さを晴らすためだろうか。様々な男たちが店へ入っていく。まるで、街灯に吸い寄せられる蜻蛉のようだ。(あの頃と、ちっとも変わっていないな)ただひとつ、変わってしまったのは、もう店(ここ)に“かおり”がいないこと。
あ〜ぁ。いくら携帯を鳴らしても、{お客様の都合で止められています}のメッセージ。だが、驚いたな。あの夜(とき)は・・あのバイクスーツのスタイル、確かに女だった。暗がりだったけど間違いない。ヘルメットだけが異様に光っていた。そして、あのもう一人の“女”・・・
仮面
モーテルの一室。全面鏡張りの浴室の中で、真希の肢体にボディーソープの吸い込んだスポンジをやさしく這わせ、シャワーのコックを捻った。鏡一面に飛び散る白泡。「亮?携帯鳴ってない?」僕は、シャワーをいったん止めると、聞き耳を立てた。ほんとだ鳴っている。あの音色は僕のだ。「ちょっと待ってて」僕は浴室を出ると、濡れた耳に携帯をあてる。「田所さんだね?今どこにいるんだね?」「あなたは?」「俺かい?俺は加藤だよ・・知ってるだろう?田所・・さ・ん」「か・と・う・・?」「もう忘れちまったかい?それじゃぁ、こう言えば思い出すかな?鉄二(てつじ)、旧姓“藤田”・・藤田鉄二だよ」「鉄二?ま、まさか?!」「あの夜以来だな。幽霊じゃないぜ。ちゃ〜んと足も2本ある・・って、俺が幽霊になるわけないか。なるならあいつ・・・で、今すぐに会えるかい?」「そ、それは」「まずいのか?あん時みたいに、また女としけこんでるんだろ?そこに、真希もいるんだろ?」「い、ちょ、ちょっと」「嫌とは言わせないぜ。あん時のこと、サツにばらしてもいいんだぜ。それと、“オヤジ”さんにも・・いっそ、剥がしてやろうか?」「な、何を?」「仮面さ・・お前の」
「わ、分かった。で、どこで会う?」「そうだな。手っ取り早く、今からそっちへ行くなんてのはどうだ?」「さっきも言ったが、嫌とは言わせないぜ。それから、真希も帰すなよ。楽しもうじゃないか・・三人で」(どうして?)鉄二は、僕の携帯番号を何故知っているんだ。そして、真希も一緒だということを・・・
「森田、藤田真希の死体発見現場のモーテルの部屋と真希自身には、DNA鑑定できるものは見つからなかったんだな?」「はい。」「そして、真希の衣類も1枚もなかったんだよな?下着以外は」「はい。奇妙な話ですね。真希は、モーテルまで下着だけで来たんですかね?」「それは、まずないな。誰か男が・・いや、女かも、一緒だったんだろう。事をすませ、衣類だけ持ち帰ったとしか」「それか、どこかで殺害して、下着だけの真希をモーテル(ここ)へ搬(はこ)んだか・・」「そう考えると、他殺の線が濃厚ですね。」「うん。一見自殺に見せかけているが・・間の抜けたように、いかにも殺しましたよと言わんばかり、他殺の状況が先走りしている感じだ。そして、鍵を握っていたのも、いかにもって」「従業員等は、誰も連れを目撃してませんし」「このモーテルは、客同士はもちろん、従業員にも客の顔がまったく見えない造りだからな。無理もない・・」「しかし、不自然だなぁ?持ち帰ったとしたら、何故衣類だけを?」
「真希は、婚約をしていたな?」「はい。相手は、田所亮。真希の父親が理事長を務める大学の助教授ですね。」「そちらの線もあたってみるか。それから、真希の履歴も」
荒木刑事と森田刑事の会話は、尽きることがないようである。
「田所先生〜!」ようやく学校へ復帰した美紀の声が廊下にこだまする。「君は、え〜とぉ?事故でしばらく休学していた金井君?!」「はい!」「元気になったんだぁ〜。良かったね」(田所先生って、愛想いいなっ)年齢よりも若く見えるし、お兄ちゃんといい勝負。でも、そんなこと言ったら、お兄ちゃんに叱られそう。
元気になった美紀の通学方法は、何とバイク。あんなに大きな事故を起こした美紀なのに、やっぱり、バイクからは離れられなかった。そのバイクも、お兄ちゃんからの回復のプレゼント。でも、お兄ちゃんの心中を思うと、複雑な美紀である。
「金井君?回復祝いに・・先生、奢ろうか?」「えっ?!ほんと?いいんですかぁ〜?」その突然の気さくな言葉に、思わず返事が・・美紀の頭の中の地図は、次第に色濃く・・・
〜『第4話』..おわり
再開
「前々からだったんですけど、先生にはどこか謎めいた不思議な魅力を感じるわ」目の前に出されたコース料理を口に運びながら、艶子はゴールド縁の眼鏡を、親指と人差し指で鼻根から軽く持ち上げた。(綺麗な目だな)眼鏡の縁越しの、わずかな隙間から覗けたパッチリした目が印象的だ。「でも、まだ彼女が亡くなったばかりで君とこうして・・軽蔑するだろ?」「ぜんぜ〜ん。これで、私にもチャンスが来たかなって」そう言って艶子は、そのパッチリした目を、よりいっそう煌かせた。金子教諭って、意外とストレート。
「こうしてまた君に会えるなんて、超感激!ずいぶん探したんだよ。でも、きっとここへ戻ってくると思っていた。」まさか、こんなところで・・私は困惑していた。記憶を辿り、あの鍵を拾った場所、香織のマンション前へ来た時、偶然も偶然。亨とバッタリ。「か・お・り・・いったいどこへ行っていたんだ?携帯も出ないし、マンションには変な女が二人も・・」(私は美紀)この人、まだほんとのことを知らないの?
「あなたと真希さんは、実の親子の間柄ではなかったんですね?」「それがどうした?一昨年に亡くなった連れ合いの・・真希は連れ子だ。」森田刑事の問いかけに、理事長の藤田は、よく調べたなと言わんばかりに、憮然とした口調で答えた。(このハゲ)森田は思わず、ボソッと呟いた。
「ところで・・藤田さん。真希さんに“ご兄弟”は?」今度は、のんびりとした口調で荒木刑事が問いかける。「そ、そ・れ・・いったいお前たち、何が言いたいんだ!真希が亡くなったばかりなのに・・・もう帰ってくれ!」「分かりました。それでは・・また」
「さっきは聞こえたぞ、森田。」「聞こえてましたか?そうそう。美紀、あの金井美紀にも、もう一度会わないといけませんね。荒さん」「そうだな。しかし、あのハゲ、何か隠しているな。また出直そう。」荒木刑事は、自分の下顎を左手で包むと、右手で森田刑事の左肩を軽く叩いた。
黒幕
ほんとにここへ?あいつが来るのか・・鉄二。真希から何度となく聞かされた、鉄二との関係。真希は、その話をしている時、何故かいつも目に憂いを浮かべていた。それがとても印象的で、一種異様な感じであった。
「亮〜!まだ電話終わらないのぉ〜?」鼻歌交じりの真希の声が浴室から聞こえてきた。その声で、ようやく気づく。僕はまだ、裸のままだった。
真希と鉄二の関係。鉄二は、今では加藤と名乗っているが、旧姓は藤田・・と言うことは、真希とは兄妹の間柄となるのか。そして、二人には肉体関係が、それも一方的な。鉄二の強引なまでの姦通行為の・・・
鉄二の親は二人、いや三人と言ったほうが適切だろうか。一人目は藤田、あの理事長本人、実の父である。二人目は加藤、現在の養子先、大物政治家の加藤正志。鉄二は、この加藤の第一秘書を務めている。三人目は村山泰山(むらやまたいざん)、指定暴力団村山組の組頭である。鉄二が慕っている村山。この村山、汚れたものを片付ける掃除屋としては、天性のものがある。そして、三人の親には“金”と言う共通点も・・蛇(じゃ)の道には蛇(へび)・・・
妃殿下
太閤妃殿下の生徒たちの噂は、田所の耳にも入ってきていた。身を飾るそのすべてが金・・そして、理事長の愛人じゃないか?と、言う噂も・・・
僕は、真希に後ろめたさを感じながらも、冷静な気持ちで女(ひでんか)と会っていた。僕が誘わなくても、向こうから誘ってきた女(ひでんか)。何だか、もう一人の自分が僕の中にいるみたい。恐ろしいほどにドライな僕。嫌と言えないもう一人の僕。あんな事件があったばかりなのに・・それも・・つづいて・・・
妃殿下の目・・少しそそられる。しかし、よく食べるなぁ。でも、食べている時くらい話すのをやめてほしい。そんなことを考えていた僕に、妃殿下はいきなり手招きした。「ちょっと、耳貸して」僕の耳元に妃殿下の熱い吐息が降りかかり、今食べたばかりの料理の匂いが鼻を擽った。「私って、ちょっと“S”なの。田所さん?これから・・ネ」
(ブルッ)一瞬、悪寒が走った。何だか嫌な身震い。あの・・真希とモーテルへ入った夜の雰囲気と、よく似た瞬間・・・
消息
あまり食べないなぁ。あの妃殿下に比べ、ずっと年下。(可愛いなぁ)ダイエットでもしているのかな?高校生と思われても不思議じゃない容姿だ。「君は、高校生って言われたこと・・ない?」「あ、あります・・」ちょっと照れながら、美紀は答えた。約束どおり、回復祝いにと田所が連れてきた店は、高級レストラン。テーブルを挟んで座る二人。いくら若く見える田所でも、美紀の幼さのせいだろうか。二人には、少し不自然さが感じられる。そして、ディナーの運ばれてくるメニューの頃合を見て、田所が切り出した。「場所、変えようか?」「ぅ、うん」
店を出ると、美紀は少し足がふらついた。田所は、透かさず美紀の左腕を自分の左肩に乗せると、美紀のか細い腰部へ右手を回した。「さっき飲んだリキュールに、私、酔っちゃったみたい。も、もう・・帰らなくちゃ」田所は、美紀のその言葉を、まるで無視するかのように大きく左手を振った。ほどなく近づいて来るタクシー。そして、タクシーは二人を乗せると、夜の闇の中へと消えて行った。
「金子君は、今日も休みかね?」校長が問いかけながら、教員室へ入ってきた。「はい。自宅も携帯も連絡が取れません。」教頭が答えた。「いったい、どうしたんだろう?今まで、無断欠勤なんてしたことがなかったのに」ほんとうに困ったと言う顔つきで、校長は眉を顰めた。その姿を遠くから眺める田所は、自分の手首をしきりに気にしていた。(まさか、あんなに夢中になるなんて)やだなぁ。こんなに跡がついている。
誤算
「か・お・り・・僕は、今でも“かおり”が好きだよ。」「ほんと、あの頃とちっとも変わってないよね。今でも高校生みたい。」「“かおり”、ほんと可愛いね。どうして?突然、店(メロン)を辞めたんだい?僕に内緒で・・僕のこと、まだ好き?」亨は、堰を切ったように、今まで逢えなかった思いの分を、言葉に変えて執拗に続けた。(私、このまま・・“かおり”のままでいたほうがいいのかな?)
そんな美紀の気持ちを、知っているのか知らないのか。亨は、まだ話を続けた。「あのうだるような夏の日、“かおり”に教えてもらったじゃん?マンションの住所。それを頼りにあの日、あのマンションへ行ったんだ。そしたら、部屋の鍵が開いていて、奥のベットのところに倒れていたんだ。僕はもう、てっきり“かおり”かと思って・・てっきり“かおり”が死んじゃったかと思って・・・」(よほど驚いたんだろう。今も言葉がダブっている)「でも、よかった。違う女(ひと)だったんだ。」「それと、僕見たんだよ。暗がりだったけど・・その女(ひと)、まだ息してた。」(えっ?!息?それって)亨の話していることは、きっとほんとのことだろう。以前、付き合っていた時も、私だけには亨は嘘をつかなかった。(私は、今でも嘘をついているが・・)
そう。亨が見た時、香織は・・まだ生きていたんだ。
「せ・ん・せ・い・・」フラフラした頭の中で、美紀が呟くと同時くらいに、ネオン煌く一角にタクシーが音もなく停車した。「わ・た・し・・このまま・・タクシーで」(先生って、そんなことする人じゃないよね?)美紀は自問自答しながら、田所の顔を覗いた。(先生が笑っている)
タクシーの中で、無気味な笑いを口元に浮かべるその顔は、人の良い田所の、いつものその笑みとは、まったく違っていた。
もう一人
(亨と別れるの・・もう少しあとでもいいかな)早くほんとのことを話して亨とこのまま別れたかったんだけど、香織のことも気になった。「ね?亨・・あの日、亨がマンションへ行った日。マンションの鍵が開(あ)いていたって言ったよね?」美紀が思い出したかのように尋ねた。「ぅ、ぅん。開(あ)いていたよ。正確にはドアがね」「だから、鍵が開(あ)いていたってことなんでしょっ?!」私はちょっとムキになって聞き返した。「“かおり”、怒っちゃ嫌だよ。玄関のドア・・閉(し)まってなくて、開(ひら)いたままだったんだ。だから僕、中へ入れた・・・」(ドアが開けっ放しに?)「その時、二人の女(ひと)がいたの?部屋の中に?」「そ、そ・ぅ・・いや、違うかも・・・」美紀の突然の問いかけに、亨が考え込んでいる。「一人は・・ベットのところで倒れていて、(その女(こ)が香織だ)僕がその傍にいて・・・そ、そう!その時だ!もう一人の女(ひと)が入って来たんだよ。」「入って来た?」(どう言うこと?香織のマンション、その女(ひと)には分かっていたの?)
(しかし、巧い具合にあれが)「わしらが掃除せんでも、片付いてくれたもんじゃ。」「ところでオヤジ、そろそろ奴も片付けないと」「あの二重人格か?そうだな。警察も奴を疑っているだろうし・・このまま、のさばらしておいて何かちくられたらヤバイな」
とあるビルの一角。胡散臭い事務所の中、膝詰で話をする厳つい男と陰険そうな男。厳つい男は、村山泰山。陰険そうな男は、加藤(藤田)鉄二である。
「森田〜。これから田所の聞き込みに行くぞ」「はい!荒さん!」元気な森田刑事の声が署内に響き渡った時、その声を打ち消すかのように、電話のベルがけたたましく鳴った。そして、もう一人の刑事の声がさらに大きく署内に響き渡った。「田所、田所亮が、今朝方早くに遺体で発見されました!!」「えっ?!」一様に叫ぶ荒木刑事と森田刑事。その時、二人の体が一瞬、空中で止まったかに見えた。
〜『第5話』..おわり
遺書
田所の遺体は、香織が住んでいたあの阿佐谷マンション。その裏庭の芝生上に四肢が変形した格好で横たわり、マンション屋上には一通の手紙が几帳面に揃えられた靴の中に置かれていた。その手紙の筆跡は、鑑定の結果、田所本人に間違いなく、今までの一連の事件を起こしたのは自分であること。自分は人格が重層していたこと。自分は死をもって償うことなどが文章として遺されていた。
「荒さん、これで事件は一件落着ですね」森田刑事が明るく話すと、「ぅ〜む。あまりにも呆気ない・・」荒木刑事は、この幕切れにどうにも納得がいかないとの様子で答えた。そして、そのあと荒木刑事はボソッと呟いた。
「美紀・・金井美紀のところへでも行ってみるか?」
「電話〜終わったの?」待ちきれずに浴室を出た真希は、呆然と立ち尽くす田所に近づくと、上気した顔で覗き込みながら、羽織ったバスタオルを右の手で撥ね退け、そのままその手を田所の下腹部へと這わせた。「ま、真希・・まだシャボンが」
(あいつが・・あいつが来る前に)
ドアをノックする音・・(来たのか?)
(“ローズ”・・ここの部屋か・・・ノックの合図は3回だったな)ドアが開く。真っ暗な部屋の中、浴室のカスミガラスに浮かぶ裸の女性のシルエット。そこだけが薄オレンジ色に染まり、まるで、シネマサロンに入ったかのような錯覚。
「艶子〜?」叫ぶと同時に鈍い音が耳の後ろで・・そして、後頭部に鈍痛が走り、目の前が濃オレンジ色に変わり、次第に暗闇となった。
待ち伏せ
(ぅ〜頭が)朦朧とした意識の中、暗闇に慣れてきた僕の目の前に、ソファーに深々と掛けた男の姿がボンヤリと映った。「何とかに集まる夏の虫ってか?」「それを言うなら、女に集まるインテリですよ・・オヤジ」ソファーの厳つい声に続いて、陰険そうな声が耳元で囁いた。その声につられて横を向いた時、膝元に何か触れた。(えっ?)誰か倒れている。(女?・・また)
(うっ?)ドアを開けた瞬間、鼻先に湿った感覚が・・そして、甘酸っぱい香り・・・遠のいていく意識の中、彼方で叫ぶ真希の声が次第に聞こえなくなり、変わりに、罵声とも聞き取れる声が薄れた意識の中に聞こえた。
「お前!あの時、あの時!」
叫びながら真希の上に馬乗りになり、真希の鼻先を塞ぐ影。
「同じように殺ってやる!」そして、真希の着ていた浴衣の帯を手荒く解くと、その影はそのまま帯を真希の首に巻いた。
「美紀・く・・ん?香織・・あの亡くなった香織君とは、確か同級だったよね?」タクシーの中で、突然、田所が聞いてきた。(どうして?)私は、その問いかけに疑問を感じながらも答えた。「そ、そうですが・・何か?」「いや、別に。ちょっと聞いてみただけ・・もうだいぶ遅くなったね。このまま家まで送ろう。」「美紀君は○○だったね。」「運転手さん、お願いします。」「はい、分かりました。」
(田所先生って、意外と)私は、酔いの回った頭をさらに回していろいろ模索していた。
合鍵
「金井さん、度々恐れ入ります。少しお話を」(またあの刑事だ)僕は心の中で呟きながら、玄関ドアを開けた。「妹さん、美紀さんはご在宅ですか?」「今ちょっと出かけて」僕がそう答えかけた時、「ただいま〜!」元気な声をあげて美紀が帰って来た。「あら?あなた方は」そう言いながらも、美紀の瞳が一点に集中しているのが分かる。あの若い刑事、確か森田とか・・その刑事を凝視している。そして、意外な言葉が美紀の口から飛び出した。「私も刑事さんにお話したいことがあったんです。ちょうどよかった〜!こんな狭い玄関先では・・どうぞ中へお上がりください。」「ほら、お兄ちゃん!ぼうーっとしてないで、コーヒーでも入れて!」(何なんだ?美紀)
それからの刑事に話す美紀の言葉には、僕はもっと驚かされた。美紀が以前付き合っていた男、亨の話から始まり、田所の話に至るまで・・
特に驚いたのは、事件があった日、亨が見ていた内容。亨が見た時、香織はまだ生きていたこと。マンションの玄関ドアが、何故か開けっ放しになっていたこと。謎の女がマンションへ入って来たこと・・などなど・・・
そして、田所。美紀を誘惑したが、結局何もしなかったこと。でも、その時に話した内容。田所は、かなり精神的に病んでいたようだ。だから、美紀に心の苦しみを打ち明けたのか。
香織との関係、真希との関係、藤田と加藤の関係、それを知った香織のこと・・などなど・・・
話し終わったあと、森田刑事がテーブルの上に何気なく置かれていた鍵に気がついた。「この鍵は?」「あっ、それ拾ったんです。」「荒さんちょっと、これ」「ぅむ・・似てるな森田」「どこで?これを」「あのマンションの前、香織さんの」「それだ!」突然、荒木刑事と森田刑事は目を見開いて、天井に届かんばかりの大声を張り上げた。それを見て、僕と美紀は互いの顔を見合わせ、唖然としたあと、何故か笑っていた。
発覚
笑いの影に一瞬、僕の顔が引き攣った。そして、老齢な荒木刑事はそれを見逃さなかった。「お兄さん?この鍵のことで何か?」(どうしよう)僕は戸惑いもあったが、踵を返したような荒木刑事の問いかけに、何故か正直に答えた。
あの日、香織のマンションへ行ってドアが開くか確認したが、そのまま何もせずに帰って来たこと。(美紀が呆れ顔で僕の方を見ている)衝動的であったにせよ、意味のないことをしてしまった。僕は、後ろめたい気持ちに駆られ、その場にいても立ってもいられなくなり、思わずテーブルの上に置いてあったテレビのリモコンスイッチを入れた。
その時、テレビ画面に臨時ニュースのテロップが流れた。{○○党幹事長加藤正志と○○女子大学理事長の藤田・・が東京地検に・・・}それを見た荒木刑事と森田刑事は、やっぱりなと言う感じで、互いに目配せすると、「さぁ!これから忙しくなるぞ!」と言って席を立った。
薄暗い部屋の中、壁にうっかかるひとつの影。その影からブツブツと聞こえてくる声。
「僕のせいじゃないよ。あいつが死んだのは・・あいつが、あいつが僕の香織を殺したから・・・だから、仕返ししてやったんだ。素っ裸にして。」「あの鍵だってそうさ。無理と握らせたんだ。香織の、香織の恨みを代わりに僕が晴らしたんだ。」「あのインテリっぽい奴のおかげで、マンションの鍵も・・モーテルにも・・・それと、あいつ。あいつのおかげで、やっと香織のマンションを突き止めた。あの日、カラオケの帰り道・・“ピカチュー”とか言って・・・香織。あのまま二人で」「そして、僕が殺る(やる)前に、あいつはあのマンションから飛び降り・・でも、まだあいつが・・・だから、あいつも」
影は、早口で呟いたあと、その口元を歪めた。
邪魔者
僕の横で倒れているのは、あの妃殿下こと金子艶子・・
「しかし、艶子の奴・・いい気になりおって・・俺らの指示どおり、田所をここまで誘き寄せておいて・・もうやめようなんて・・・裏切るんかい!このゴールドの装飾品は、誰のおかげだと思っているんだ!」「そうですぜ。あれほど俺のオヤジが貢いだというのに・・あの“香織”と、まったく同じ・・・性悪女め。いくらオヤジの愛人でも・・ふっ、ぶん殴っちまった・・・こいつ、どうしますかい?」「どこか山奥にでも埋めちまうか」厳つい声と陰険そうな声・・泰山と鉄二である。ただでさえ薄暗い明かりの中、二人の言うがままに遺書を書かされている手が小刻みに震えているのが分かる。(ぼ、僕は・・このあと、きっと殺されるんだ)そう思った時、僕の頭の中には、あのマンションでの一夜、あの出来事が駆け巡り、目頭が熱くなった。
---「僕たち、今夜でお別れにしないか・・か・お・り」---「そんな勝手なことって・・」---「待って!」「離してくれ!」---ドアが閉まりかけ---
---(もう、この合鍵もいらないな)僕は、香織のマンションの合鍵をポケットから取り出し、玄関ドアの郵便受けへ入れようとした。「亮!こんなところで何してるの?!」「ま、真希?!どうしてここへ?」「その手にしてるのは何?!」「な、何でもない!」「見せて!」「やめるんだ!真希!!」その時、僕の手から合鍵が離れ、コンクリート階段に鈍い金属音を残し、階下へと転がっていった。---
---「亮!逃げるの?待ちなさい!!」階段を走り下りる二つの影・・そして、上ってくるもうひとつの影と交差して---
最後の復習
(騒がしい奴ら)この鍵は香織の部屋の鍵・・間違いない。僕は階段を上りながら、走り下りて行く男女(ふたり)を冷めた眼差しで追いかけた。(ふっ、こんな時間にエレベーターを使わないのは僕だけかと思ったが・・)
(901号・・ここか)ちょっとドキドキしながら、鍵穴へさっき拾った鍵をあてがい、回す。「カチッ」という乾いた音。(開いた)ドアノブに手を伸ばし開けようと・・その時、静かに階段を一段一段確かめるように上ってくる音。(ヤバイ・・隠れなくちゃ)僕は、咄嗟にそのままドアを開くと、壁とドアの隙間へ体をこじ入れた。
上がって来たのは、小柄で少しひ弱そうな男。その男は、玄関前でキョロキョロと辺りの様子を窺うと、足早に部屋の中へ。それから間もなくして、今度はけたたましく階段を一目散に走り上ってくる音。
上がって来たのは、男を追いかけて行ったさっき階段ですれ違った、黒のバイクスーツに身を包(くる)んだ女。そのスーツの上部、ヘルメット越しだが、一見してすぐに女と分かる。それは、均整の取れたボディスタイルのせいか。その女も部屋の中へ。(二人、中で何か話している)それからしばらくして、小柄な男が玄関から走り出て来ると、逃げるように階段を下りていった。
そのあと、部屋の中からふたたび声が・・そして、異様な“音”が聞こえてきた。僕は、耳を澄ましてその声と音を拾った。
「お前が亮を唆したんだね!生娘面して!!」「もう、雅夫を待っていられない!私がこうしてやる!!」その声のあとに聞こえてきた音は、何かに締め付けられるような、まるで断末魔の叫び。一生忘れることのできない“音”。
(あの女が、あの女が・・か・お・り・を・・・)その光景に、ドアノブを持つ僕の手が次第に汗ばんでくるのが分かる。僕は、女に気づかれないように静かにドアを閉め、その汗ばんだ手をようやくドアノブから外すと、足早にその場を後(あと)にした。
「ちぇっ!また、姉貴の後始末か。たまには僕にもホンチャンやらせろよ!」「さてっと、下るとするか」
9、8、7、6、5、4、3、2、1・・エレベーターが降りていく。そして、表示が止まり、ドアが開く。(誰?!ぅん?女?・・どこかで・・そうだ!あの時の・・・亨か、確か奴の彼女(おんな)だった。以前、亨がグループにいた時に、自慢げに見せた写真の女・・あの時の写真もヘルメット姿だった。今もあの女、メットを被っていたな。ということは、バイクか。今、すれ違って見られたかもな。ちょっとヤバイな。バイクに細工していくか)
(ここだ・・ピカチューのアパート。そう言えば、あの夜もここで)あの夜、カラオケで見た香織。マンションまで尾(つけた)あと、男のアパートまで来て・・あの時もここで蹲って・・・その時、目が合った女、金井美紀・・ピカチューの妹。そして、カラオケの男。美紀の兄、晃(ひかる)。ピカチューめ!(ふふ、あのモーテルでオレンジ髪の女、真希を殺った時に使ったホルマリンでピカチューを眠らせて・・)
「おい!お前そこで何をしているんだ!」突然のその声は、夜の闇を照らすかのように明るく響いた。それは、紛れもなくあの刑事、森田刑事の声であった。
「荒さん!磐田(いわた)、あのストーカー、磐田朋(いわたとも)がすべて吐きました!それと、地検で取調べを受けていた加藤と藤田ですが、こちらも全面自供したそうです!!そして、その供述の中から、意外な事実が発覚しました。あの阿佐谷マンション殺害事件にも加藤と藤田が関与していたんです。結果的には、田所を寝取った秋元香織への嫉妬から藤田真希が衝動的に殺害したんですが、実は、秋元香織は選挙中、うぐいす嬢のアルバイトをしたきっかけで加藤の愛人となり、加藤と藤田との収賄を知ったようです。そして、秋元香織はそれを警察にばらすと・・でも、秋元自身、それをネタに二人を恐喝していたかどうか・・・今となっては分かりません。そこで、身の危険を感じた加藤と藤田は、加藤の秘書の加藤鉄二、旧姓藤田鉄二をとおして、村山泰山に秋元香織の殺害を依頼、それを受けた村山が、元暴走族のリーダー格の真紀に後始末を」ここまで一気に喋った森田刑事は、まだ興奮冷めやらぬ状態である。
それまで黙って頷いていた荒木刑事は、「まぁ、一息これでも」と言って、自分のデスクの上にあった湯呑み茶碗を差し出した。森田刑事は、その茶碗のお茶をゴクッと飲み干すと、さらに言葉を繋げた。「それから、田所はやはり自殺ではありませんでした。それと、あの女子大の教諭、金子艶子ですが、群馬県と長野県境の山中から遺体で発見されました。そして、藤田真希ですが、磐田は香織を思うあまりに藤田真希を殺害、そして、香織の浮気、浮気と言うのが妥当かどうか。その相手、金井晃をも殺害しようと・・それからは、荒さんもご存知のとおり、私が・・・」森田刑事の話を最後まで聞き終えた荒木刑事は、いかにも満足そうに微笑むと、空になったデスク上の湯呑み茶碗を啜った。
〜『第6話』..おわり
『白紙の地図』..完
【エピローグ】
第二作目となった連載小説も、皆さんのおかげで無事完結の運びとなりました。
書き始めたのは春間もない四月中旬。新入生、新入社員の皆さんが希望と不安を胸に抱いて新しい人生の第一歩を踏み出した・・そんな時であります。ちょうど折りしも、街中には歓迎会ムードが漂い、路上にはアルコールの勢いもあってか、賑やかな声がこだましていました。そんな中、ふと思いついたのが、「コンパを題材にした小説を書こう!」でした。さっそく、恋愛ストーリーをと思って書き始めましたが、ミステリアスな内容の方が読者の皆さんにより楽しんでいただける気がして、結局本格ミステリーとなってしまいました。
今、世の中は不況の影響もあってか、悲しい事件、事故が絶えません。この『白紙の地図』も、それに追従するかのように、不倫と殺人、そして不正がメインテーマとなっていますが、それでも、正しく明るく生きて行こうとする人々の姿も、しっかり伝えておこうと執筆したつもりです。皆さんに伝わりましたでしょうか。
作者自身、これから先、人々が互いに尊敬しあう世の中になって、毎日無事過ごせることに感謝しつつ、地球家族として、全世界の人々が仲良く信頼し合い、共に明るく生きていけたらいいのになって思っています。
完結となったのは、立秋もひと月あまり過ぎ、虫の音も活気盛んとなり始めた九月初旬ですが、まだまだ日中は暑さが厳しい日もあります。
皆さん、お身体を大切に・・またお逢いしましょう。
読者の皆さんの幸せを願って
2004年9月9日
by Hiroshi Morita(kanjii)
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